時間的割合で考える幸せの効率性

一般的な生活モデルを考える。
9時に出社して18時に退社。 完全週休二日制とし、ここでは一週間を考えることとする。
24×7の168時間が全部の時間。それから自由時間以外を引いていく。まず労働の9×5の45を引くと123。休憩が1×5含まれているがあまり関係がないだろう。そこから平均的な睡眠時間の7時間×7の49を引くと残りは72。なぜか2時間分計算が合わないが殆ど関係がないので無視。
168時間があるなら、約100時間が自由に使えない時間、約68時間が自由に使える時間となるだろう。一週間のうち睡眠抜きで68時間も使えるなら結構な時間があるじゃないか、と思ってしまうがあくまで割合で見ると、使える時間は半分に満たないわけだ。割合はおおよそ、
非自由自由:自由時間=6:4、となる。
恐らく普通に働く人は自由時間がこれを越えることはないし、むしろ残業で減る可能性の方が高い。と考えると生きるということは効率が悪いとなる。
自由時間の質も大きく関わってくるだろう。例えばそれを凄く有効的に効率よく使って効用が得られる人と、だらだらと過ごすなど、決まった好きなものがなくて幸福感も中途半端な人(だらだらと過ごすことで気負いなどせず幸福感を相当に得られる人は別)では時間あたりの満足度も違ってくる。

何が言いたいかっていうと、生きることは時間的に見ると自由時間は人生の半分もないから効率が悪いし、自由時間の質は個人によって大きく増減するので、何事もあまり楽しめない私は死んだ方が効率がいいってこと。死なないけど。